ありがとう

 長男が就学前の障がいを持った子どもが通う市の施設に通っていた頃、長男の車椅子を押し、まだ1、2歳だった次男を片腕にかかえてマンションのエントランスを出た時のこと。すでに雨が降り出していました。駐車場までの数十メートルですが、傘をさすのはあきらめそのまま出たとき、たまたま通りかかった人が、傘をさしかけてくれました。そして駐車場まで、私たちが濡れないように気遣ってくれたことがありました。子どもたちが小さい頃は特に、物理的に手が足りないということが時々ありました。思いがけず誰かが助けてくれた時は本当に嬉しくて、暖かな気持ちになりました。今でもふとした折に、いろいろな場面で助けてもらったことを思い出します。

 長男が養護学校に入学したとき、長女が4歳になったばかり、次男が1歳でした。毎朝スクールバスに長男を乗せるため、下2人を連れて4人でバス停に向かっていました。一か所横断歩道を渡らなくてはいけなくて、車椅子を片手で押しつつもう片方の腕で次男を抱えていると、同じバス停でスクールバスを待っている子どもに付き添っているお母さんたちが手伝ってくれました。そのうち長女が小学校に入学し、次男も小学生になって自分で登校するようになりました。初めて長男だけをバス停まで連れて行くようになったのは、小学部6年になったときです。

 長男が病気の後遺症で障がいをもつという現実に直面したとき、とにかく少しでも元の身体にということが私の気持ちを占めていました。いろいろ調べて、ドーマン法という自宅で毎日訓練するという方法をやってみようと決めました。その訓練法では数人の大人が同時に子どもの身体を動かして、ハイハイの動きを身体に覚えさせてゆくというようなものもあり、人手のいる訓練法でした。当時は藁をもすがる気持ちで訓練を手伝ってくれる人を探し、近所の人に声をかけたり、社会福祉協議会にボランティア登録している人を紹介してもらったりしました。最初の頃は午前午後、各1回、月曜から金曜まで一度に2、3人の方が来てくださって手伝ってくれました。学校に行くようになると、学校から帰って4時頃からというペースで続けました。訓練法も少しずつ変え、中学部以降は自分でプログラムを作って子どもに必要だと思うことをやっていました。ボランティアの方に来ていただくと、生活のリズムもでき、子どもも多くの方に体を動かしてもらうことに慣れますし、家族や学校以外の人に接する機会ができてプラスになることが多くありました。PTやOTの訓練に行く日を除いて週に数日、高校卒業後は週に1~2日のペースとなりましたが、突然の入院となるまで継続しました。家で訓練をしていた17年間、長い方は最初からずっと17年間無償で訓練を手伝ってくれました。この間、のべ50人くらいの人が我が家に来て手伝ってくれたことになります。これだけの多くの方の御恩を受けて、これからは自分のできるところでお返しできればと考えています。    

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