心に刻まれた日

 28年前の2月23日、長男はインフルエンザから突然に呼吸が止まり、救急車で大学病院に運ばれました。毎年2月が来ると、またあの日が来る、と緊張が高まります。ただただ何事もなくこの日が過ぎ去ることを祈るだけです。

 病気からずっと、この日のことを誰かに話すということはできませんでした。あまりに苦しくて、言葉にすることができなかったのです。病気の後、長男は本当に頑張ってきました。入学した特別支援学校では楽しい12年間を過ごすことができました。その後、再度体調を崩してしまい、2年間の入院生活を送りましたが、その時お世話になった病院で、リハビリを担当してくださった理学療法士のH先生に出会いました。午後いつものように子どものいる病室にいるときにリハビリがあると、かたわらでその様子を見ていました。先生のリハビリは、子どもの身体と会話するような感じで、肩まわりを緩めてもらっているときなどは子どもがとても気持ちよさそうな表情をしていました。退院して今の医療施設に来てからは、私が行ったときに子どもの身体をストレッチするのですが、肩回りのストレッチはH先生流にやっています。

 ところで、週に3,4日とても丁寧にリハビリをやってくれていた先生には、子どももすっかり慣れていました。ちょうど子どもが病気した日にもリハビリがあり、私もそこにいて、「今日は、この子が最初に病気した日なんです」と、その日のことを話していました。誰かに倒れた日のことを話したのは初めてのことで、あの日から20年がたっていました。言葉にするまでに20年が必要だったのだと思います。

 今、コロナウイルスの重症者の数がニュースで毎日報道されています。長男も感染症が急激に重症化し、人工呼吸器をつけ何週間も生死をさまようような日々がつづいたので、「重症者」と聞くと、ご本人はもとより家族も、私があの時味わったような大変な思いをしているのだなと本当に心が痛みます。

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