写真展「透明人間-Invisible Mom-」(1)

国立市の旧国立駅舎で開催されていた山本美里さんの写真展「透明人間-Invisible Mom-」を見に行きました。

子どものひとりが重い障がいを持つ写真家山本美里さんが撮った写真には、特別支援学校を中心に生活の様子が映し出されています。親として子どもの付き添いで通う学校生活で感じたことをカメラのフィルターを通して表現しています。何より私に響いたのは、テーマがお母さん自身だったこと。障がいを持つ子どもがいても自分の人生を生きているという姿がとても魅力的でした。

山本さんのお子さんは重い障がいをもち、しかも気管切開をしているいわゆる医療的ケア児です。痰の吸引や呼吸の管理が必要となるため、学校では保護者の付き添いが求められてきました。ただ常時子どものそばにいるのではなく、体調が急変したときなど親でなければできない医療行為をするために子どもとは少し離れた控室で待機しています。私の長男が特別支援学校に通っていた最初の頃の医療的ケア児は、在宅のまま先生が訪問する訪問学校か、あるいは保護者の付き添いで登校し下校まで保護者が学校に待機するという二択しかありませんでした。その後、学校に常勤の看護師が配置されるようになり、少しずつ保護者の負担は緩和されてはきましたが、それでもまだ保護者に求められる役割は多いのが現状です。

写真展のタイトル「透明人間」は、学校に付き添いを求められていながら、学校は子どもたちの自立の場であるからお母さんは気配を消してください、と言われたことから来ています。Invisible Man(透明人間)転じてInvisible Mom(透明お母さん)というわけです。多くの時間何もなく待機しているだけ、でも「私はここにいる!」という山本さんの心の叫びが聞こえてきます。長男の同級生の中には入学当時はスクールバスで通えたのに、在学中に経管栄養になったり、胃ろうの手術を受けたりして医療的ケア児になる子が何人もいました。スクールバスで通える子どもの場合、学校に行っている時間だけ付きっきりで世話をすることから離れ、親は自分の時間が持てるのですが、医療的ケア児の親はその間も学校で待機しなくてはならないという過酷な現実があります。当事者である山本さんはそれに対して声を上げ、写真と言う形でシーンを切り取り多くの人に見てもらうことで、その困難さを広く知らせようとしています。

写真集も発売されています。ゆっくりページを開いてゆくと、重い障がいを持つ子どもがいるという私にとってたいへん馴染みのある光景や特別支援学校の様子は無性に懐かしく思いました。ユーモラスな表現もありながら時に社会に問う姿勢が強く感じられます。山本さんの写真集に次の言葉があります。

子供たちがどんな風に生まれてきても、

私たち「母親」が自分たちの人生を

自分たちで選択できる時代がきっとやってきます。

旧国立駅舎にて開催された写真展「透明人間-Invisible Mom-」

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