「心をひらいて、音をかんじて」

昨年(2023年)日本語版が出版された絵本『心をひらいて、音をかんじて』は、耳のきこえない打楽器奏者エヴェリン・グレニーのことを私たちに伝えています。この本は障がいのある人を描いた児童書に送られる2023年度「シュナイダー・ファミリーブック賞」を受賞しました。日本語版の翻訳をした中野怜奈さんにお話を聞きました。

どのような経緯で原作に出会い、翻訳しようと思われたのですか?

中野 「学校司書として勤めていた学校に支援学級があり、生徒たちはよく図書館を利用していましたから、障がいを描いた子どもの本で、よい作品があれば、日本に紹介したいという気持ちが以前からありました。

原書の情報は一昨年の6月ごろ、アメリカの児童書評誌『ホーンブック』で見つけました。まえから興味をもっていた画家が絵を描いていたので、すぐに原書を購入しました。詩的な言葉、絵と文があわさった表現の美しさにひかれ、ぜひ訳したいと思いました。

エヴェリンのことをしらべるうちに、音楽院の入学試験の際、障がいを問題視した先生がいましたが、それでもオーディションを受けられるよう交渉するなど、自分の道を切り開いていく強さをもっていることがわかり、そこにひかれました。中等学校のときには、8時間ノンストップでピアノと打楽器を演奏し、自分と友人がつかう補聴器の費用を集めたそうです。

アフリカで障がいのある子どもの支援活動を行っている団体 AbleChildAfrica を長年後援していたり、システマ・スコットランドのアンバサダーをしたりもしています。自分の賜物を社会のためにつかっているのが、とてもすてきだと思いました」

(左)『心をひらいて、音をかんじて』 耳のきこえない打楽器奏者 エヴェリン・グレニー    シャノン・ストッカー文 デヴォン・デヴォン・ホルズワース 絵 中野怜奈 訳 (光村教育図書) 2023年7月25日 第1版発行

(右)翻訳者の中野怜奈さん ミュンヘンにて(学校司書、国立国会図書館国際子ども図書館の非常勤調査員として勤務のかたわら、ミュンヘン国際児童図書館の日本部門を担当し、毎年数週間をミュンヘンで過ごす) Facebookより許可を得て掲載

翻訳の途中で苦労されたことがあったら教えてください。

中野 「すごい人の話でしょう!というような、偉人伝にはしたくないという思いが強くあったので、できるだけ押しつけがましい訳にならないようにしたいと思いました。

最初の見開きは “listen” という文で終わって次ページにつづき、つぎの見開きや最後の見開きも “Listen…” という言葉で終わっています」

原作のタイトルが “listen” ですね。大事なポイントにこの言葉が何度も使われているのですね。

中野 「ページのつながりを意識し、次ページにどんどん引っ張っていくようにしたいと思い、その場面に最もふさわしい訳を工夫しました。数多くのエヴェリン・グレニーについての記事を読み込み、

• hear と listen はちがう。listen は心を対象にむけること。みずから関わりをもとうとする行為。耳が不自由でも、聞くこと(listen)はできる。

• 自分の心の声を聞くことが大切。

だと語っているのを頭に入れた上で、”listen” という言葉をどう訳したらいいか、場面ごとに考えました。信頼できる複数の情報源を参照し、伝記としても間違いのないように心がけました」

背景調査など目に見えないところにも時間をかけているのですね。この本を通じて何か新しい発見があったら教えてください。

中野 「この本を読んで、聞くことの概念が変わったように感じています。聞くというのに一つのやり方があるのではなく、いろんな聞き方があるのだとわかりました。エヴェリンが全身で音を感じる姿をとおして、わたしも世界の新しいとらえ方を知り、それによって自分の世界も少し広がったというか、世界が豊かになったように思いました。それはきっと、オーディションのときの審査員もそうで、他者への想像力をもったときにはじめて、音が心にはいってくるのだと思います。カバー袖にも書いたことですが、エヴェリンはわたしには聞こえない音を感じているのだと思ったとき、はっとしました。深い悲しみの中にいると、無音のように感じるときがありますが、それでもわたしには聞こえない音が鳴っている、世界はいつも音にあふれているのだと思ったら、とてもほっとしました」

この絵本を読んで思い出したことがあるのですが、障がいを持つ人の通所施設に「朗読コンサート」という読み聞かせと音楽の演奏をする活動の仲間で伺ったとき、施設の方から一人耳のきこえない男の子がいると聞きました。その子は最前列に座っていて、最初は楽しんでもらえるか不安もありましたが、会が始まるとまったく心配の必要はなく、とても楽しそうに一緒の時間を過ごしてくれました。きっとその子も体全体で感じ取ってくれていたのだと思います。本人ではなく周りの人が必要以上にバリアを作ってしまうということもあるのかもしれません。

今翻訳で取り掛かっている本はありますか?

中野 「読み物2冊と絵本1冊を翻訳しています」

新しい本が出るのを楽しみにしています!

昨年出会った心に残った絵本を紹介します。この絵本はどれも何かしらの困難を抱える当事者の思いを伝えているものです。

『心をひらいて、音をかんじて』 耳のきこえない打楽器奏者 エヴェリン・グレニー

シャノン・ストッカー 文 デヴォン・ホルズワース 絵 中野怜奈 訳 (光村教育図書)

音が聞こえなくても、音を感じることができるのだということが伝わってきます。音楽や自然に囲まれて育ったエヴェリンは、音のふるえを体全体で感じることができます。そしてオーケストラのようにあらゆる音を生み出せるようになったのです。2012年のロンドンオリンピック開会式でもその演奏が披露されました。

『ぼくは川のように話す

ジョーダン・スコット 文 シドニー・スミス 絵 原田勝 訳 (偕成社)

作者はカナダの詩人で、吃音があります。うまく話せなかった日の学校の帰り、父親が川のほとりで「おまえは、川のように話しているんだ」と語り掛けます。

私たちは自然の中に包まれている小さな人間にすぎないと思えてきます。一人一人が形は違っても困難を抱えていて、それと共に折り合って生きていく方法があるのかもしれないと、背中をそっと押されるような気がしました。

『二平方メートルの世界で

前田海音 文 はた こうしろう 絵(小学館)

以前にEテレで作者の前田海音(みおん)さんが紹介されていたのを見たのがきっかけで、読んでみたいと手にとりました。この絵本は海音さんが小学3年生のときに書いた作文を元に作られました。海音さんは神経の病気で小さい頃から入退院を繰り返しています。病院で過ごしていたある日、偶然のことから以前に入院していた子どもたちのメッセージに気がつきます。

私の長男も病院にいるときはどのような気持ちだったのかなと今でも考えることがあります。海音さんがその経験を言葉にし、絵本という形になったことが素晴らしいと思います。

一人で闘っているような気がして孤独だと感じることがありますが、一人ではないと思えたとき、私たちは大きな力を得られるのかもしれません。

体の不自由な子どもたちが使用する「子ども用の車いす」は、社会的な認知度が低いために車いすと同等の対応をしてもらえないことが多くあります。歩けない、首も座っていない子どもをバギーから降ろして折りたたむように言われることもあるのです。

「子ども用の車いす」を周りの人に知ってもらいたい――その思いから生まれたのがバギーマークです。公的なマークではありませんが、手作りで製作し希望者に販売しているのがマムミニョンペッシュ。今回、マムミニョンペッシュのたかいしりえさんにお話を聞きました。

設立は2012年。体の不自由な子どもを持つお母さんの発案で生まれました。現在は設立当初から協力してくれていてショップの代表を務める業者さんご夫婦とともに、製作メンバー2人で活動しています。製作メンバーの2人はいずれも医療的ケアが必要なお子さんを持つお母さんで、それぞれのお子さんは28歳の女の子と13歳の男の子です。

「赤ちゃんのお尻があまりにもかわいくて桃の様だよね!」と話したのがきっかけでマムミニョンペッシュと命名しました。ママのかわいい桃という名前には子どもへの暖かい眼差しが感じられます。お店のマークも桃(かわいいお尻)からイメージしたものです。

ホームページ上にネットショップを開設しているので、そこを通じて受注を受け付けています。障がいを持つ子のお母さん2人で注文内容の確認、お客さんへの連絡、製作を分担。内部のやり取りの多くはLINEで行います。製品のほとんどは芯を中に入れて作るハンドメイド品です。

マムミニョンペッシュ ホームページより

活動を始めて11年目。全国から注文があり、届けたバギーマークはすでに1700枚に上ります。リピート購入してくださる方もいて嬉しいとたかいしさん。多くの方に喜ばれているのがわかります。

バギーマークは標準サイズの他、ミニサイズやもう少し小さなプチサイズ、一番小さなナノサイズ、またそれぞれに色やデザインも豊富で、好きなタイプを選べるように工夫されています。

さらにバギーマークにとどまらず、障がいを持つ子どものためのブーツやバギーポケットなど新しい製品も加わっています。利用者からの要望や、製作担当のお母さんたちがアイデアを元に相談しながら新しい製品の開発にあたっています。また目を引くのが、それぞれの製品のネーミング。手作りのロングブーツには『あったかブーツmoccomoco』、小さなネコ形のバギーマークは『バギーマークnano×cawaiiにゃん』など、かわいい名前を意識してもらえるよう、またサイズや形などの種類もわかるように考えられた名前です。一つ一つの製品への愛情が伝わってきます。

マムミニョンペッシュの製品のほんの一部です。 マムミニョンペッシュのホームページより

医療的ケアの必要なお子さんを抱えたお母さんは、どうしても時間が細切れになってしまい、まとまった時間がとれません。学校へ行く子どものお母さんの場合は、子どもが学校に行っている間が貴重な作業時間になりますし、それぞれのお母さんが夜や休日にも工夫して時間を見つけて製作にかかっています。期日を守るように進めていますが、子どもの体調が優れない時は、作業が遅れてしまうこともあると言います。イベントに出品するときは、短い期日でたくさん作ることになるので、家族に心配されることもあります。家族が家にいれば子どもの面倒をみてくれますし、何よりやりがいのある事だと思っていることを、家族が理解してくれています。

これまでの活動を振り返り、必要として下さっている方のお陰で続けられていると語るたかいしさん。コロナ以前はよくイベントに出品することがあったので、そこに来たお客さん同士で輪が広がっていく様子を感じることができました。

現在重度の障害があっても預けられる施設が少しずつ増えています。預けられる場所はできても、親同士の交流はほとんどなく孤立してしまいがちになりがちな中で、バギーマークを使う人同士で声を掛け合えるきっかけになれば嬉しいと言います。

コロナの間、4年ほどはイベントに出品する機会がなくなりましたが、これから機会があれば出品していきたいと思っています。

最後に今の思いを伺いました。「一般的な青い車いすマークのように、子ども用車いすもマークを統一できたら、周りの皆さんにより理解され知っていただく機会が多くなるかもしれませんが、最近では、自分でかわいく製作されている『子ども用車いす』を示すマークがたくさんあります。どのマークも、障がいがあってもおうち以外でも楽しむことができるように、外出先で嫌な思いをしないようにというお守りのような、親御さんの願いが込められていると思います。なので、マークを付けている車いす(バギー)を見かけたら、周りの方々にすこしだけ優しい気持ちで見守ってもらえるそんな社会になるよう希望しています。これからも、私たちは必要なお子様やご家族のために、バギーマークをお届けしたいと思っています」

マムミニョンペッシュのホームページはこちらから

子ども用車いすマーク バギーマーク®︎のお店 マムミニョンペッシュ| mon mignon peche (buggymark.jp)

ふくしのまちづくり賞のPR展で「バギーマーク」が展示されました。 岩見沢のイベント会場で(2023年3月)

マムミニョンペッシュのホームページより

出典:国土交通省ウェブサイト

地下鉄などでこのようなポスターを目にしたことがあるかもしれません。ポスターにあるこの車いすは病気や障害のために移動が困難な子どもたちが使用しています。一見したところ赤ちゃん用のバギーと間違いやすく、公共の交通機関に乗車できなかったり、たたむことを要求されたりすることもあります。また子どもが小さい頃は通常のベビーカーを車いすとして利用することもあります。

長男は病気で重度の肢体不自由になったあと「車いす」として初めて使ったのは、2歳下の妹が使っていた赤ちゃん用のバギーでした。1歳になった妹がヨチヨチ歩きでバギーについてきている様子を見て、通りすがりの人から「お兄ちゃんが赤ちゃん返りしているのね」と言われたこともありました。確かにそう見えたと思います。

↓赤ちゃん用のバギーを使っていた時代。2台目は使わなくなった大きめのベビーカーがあるからと譲ってもらったもの。その頃は頭にクッションを置き、手作りの胸ベルトを当てていました。

長男は病気による中途障がいで、今まで歩けていたのが急に歩けなくなったため、病気で半年の入院生活のあと退院してからは、まず移動に困りました。そのため急遽赤ちゃん用のバギーで代用した時代が数年間ありましたが、その後はPTの先生に相談しながら体の状態に合わせた特注のバギー(車いす)を作りました。特注のバギーになってからも、障がいを持っていると思われずに、ここではバギーを使用しないでと言われたこともありました。

国土交通省のポスターの右下に「子ども用車いすマークもあります」と記載されていますが、そのひとつマムミニョンペッシュが製作しているのがこちらのマークです。

マムミニョンペッシュ ホームページより

「歩けない子なんです」と言うことは、障がいを持つ子の親歴が短い最初の頃は勇気がいりました。そんなとき、「子ども用の車いす」のマークがあってもっと周りに知ってもらえたらどんなに良かったかと思います。

このマークは、障がいの子を持つお母さんが発案し、同じく障がいの子どものいる縫子役のお母さんたちが手作りで製作し、必要とする家族に届けています。そのためにマムミニョンペッシュという会社を立ち上げ、その活動はすでに11年目に入りました。マムミニョンペッシュのママスタッフにお話しを聞きましたので、次回ご紹介します。

写真家 山本美里さんに聞く

旧国立駅舎から場所を変え、くにたち・こくぶんじ市民プラザで開かれていた写真展「透明人間-Invisible Mom-」「#BFF」の会場で写真家の山本美里さんにお会いしました。

会場の様子とともに山本さんのお話を紹介します。

写真家 山本美里さん

保護猫の預かりボランティア活動もやっている山本さん。写真を始めたきっかけは、保護猫のかわいい写真をSNSに上げて里親探しに役立てたいと思ったこと。

医療的ケア児である子どもの通学のため付き添いで一日何時間も学校で過ごしていた頃、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の通信教育で写真を学ぶことを決意。東京でスクーリングが受けられたため週末は子どもを家族に託してスクーリングに出かけた。子どもと離れ集中できる貴重な時間だった。3年をかけて卒業。「透明人間」の写真は卒業制作で撮影したものが中心。子どもが中2になった今、あの時だから撮れた作品と振り返る。

カメラはミラーレスを使用しているが、スマホも活用している。時には三脚2台を用いての撮影。学校で「子どもよりお母さんの荷物が多いですね」といわれるほどだ。毎回構図を練って撮影に挑む。特別支援学校の先生方にも被写体として協力してもらっている。その他被写体の一人がまあ君というお人形。教職員が気管切開や経管栄養についての研修に使用するもので保健室にある実物大のお人形だ。被写体への山本さんの眼差しは暖かい。

山本さんの写真集「透明人間」より

最初はこんな生活を強いられています、といういわば「愚痴日記」でもあったが、写真という作品にすることで状況を客観視できたと言う。

目を引く作品のひとつに気管切開をした喉の写真がある。器具を外したそのままの姿だ。つまり喉に穴があいているというもの。私の長男も気管切開をしていたが、それが作品となることがある意味衝撃的だった。そのことを山本さんに聞いたところ、大学の指導の先生から、「美しいと思うものであるなら、撮っていけないものはない」と言われたそう。お風呂で器具を外したときに撮ったもの。ただ赤みを消すため作品はモノクロにした。

子どもの病気の進行などたえず心配や不安のある毎日。だからこそ今を撮ることを大事にしている。

机の上に並ぶ写真は、学校のエレベーター内で撮ったもの。付き添いで通学し、学校についてエレベーターに乗る。その毎日を定点観測している。同じ場所だからこそ、日々の小さな変化が感じられ、時にはお面をかぶるなど「遊び」が入るのも魅力。毎日エレベーターに乗って降りるまでの数秒が勝負だ。同時に、医療的ケア児専用のスクールバスを運行するという東京都の方針により、子どもだけの登校が果たして実現できるかどうかということを伝える記録でもある。もしできなかったら、卒業まで写真は続く。

卒業制作の「透明人間」から、新たなステップへ

生活の一面を切り取って、エスプリを効かせた作品づくりに現在取り組んでいる。身の回りのあらゆるものを素材と考え、見ていて思わず笑いがこぼれるような作品群を生み出している。経管栄養や胃ろうの注入に使用するシリンジ(注射器のような形をした医療器具)を素材にした作品もあり、医療器具がアートになっているというのはとても新鮮だった。山本さんによると海外の製品は色がとてもカラフルという。「B.F.F.」という作品にはお母さんと障がいを持つ子が宇宙を背景に明るく表現されている。B.F.F.(Best Friend Forever)まさに同感!

映像の作品や、動画を静止画にした作品など領域は広がりつつある。作品の制作について語る山本さんは生き生きとして本当に楽しそうだった。

*今回の展示は終了しましたが、来年(2023年)全国3か所での開催が予定されています。

国立市の旧国立駅舎で開催されていた山本美里さんの写真展「透明人間-Invisible Mom-」を見に行きました。

子どものひとりが重い障がいを持つ写真家山本美里さんが撮った写真には、特別支援学校を中心に生活の様子が映し出されています。親として子どもの付き添いで通う学校生活で感じたことをカメラのフィルターを通して表現しています。何より私に響いたのは、テーマがお母さん自身だったこと。障がいを持つ子どもがいても自分の人生を生きているという姿がとても魅力的でした。

山本さんのお子さんは重い障がいをもち、しかも気管切開をしているいわゆる医療的ケア児です。痰の吸引や呼吸の管理が必要となるため、学校では保護者の付き添いが求められてきました。ただ常時子どものそばにいるのではなく、体調が急変したときなど親でなければできない医療行為をするために子どもとは少し離れた控室で待機しています。私の長男が特別支援学校に通っていた最初の頃の医療的ケア児は、在宅のまま先生が訪問する訪問学校か、あるいは保護者の付き添いで登校し下校まで保護者が学校に待機するという二択しかありませんでした。その後、学校に常勤の看護師が配置されるようになり、少しずつ保護者の負担は緩和されてはきましたが、それでもまだ保護者に求められる役割は多いのが現状です。

写真展のタイトル「透明人間」は、学校に付き添いを求められていながら、学校は子どもたちの自立の場であるからお母さんは気配を消してください、と言われたことから来ています。Invisible Man(透明人間)転じてInvisible Mom(透明お母さん)というわけです。多くの時間何もなく待機しているだけ、でも「私はここにいる!」という山本さんの心の叫びが聞こえてきます。長男の同級生の中には入学当時はスクールバスで通えたのに、在学中に経管栄養になったり、胃ろうの手術を受けたりして医療的ケア児になる子が何人もいました。スクールバスで通える子どもの場合、学校に行っている時間だけ付きっきりで世話をすることから離れ、親は自分の時間が持てるのですが、医療的ケア児の親はその間も学校で待機しなくてはならないという過酷な現実があります。当事者である山本さんはそれに対して声を上げ、写真と言う形でシーンを切り取り多くの人に見てもらうことで、その困難さを広く知らせようとしています。

写真集も発売されています。ゆっくりページを開いてゆくと、重い障がいを持つ子どもがいるという私にとってたいへん馴染みのある光景や特別支援学校の様子は無性に懐かしく思いました。ユーモラスな表現もありながら時に社会に問う姿勢が強く感じられます。山本さんの写真集に次の言葉があります。

子供たちがどんな風に生まれてきても、

私たち「母親」が自分たちの人生を

自分たちで選択できる時代がきっとやってきます。

旧国立駅舎にて開催された写真展「透明人間-Invisible Mom-」