「子ども用車いす」を知ってほしい。バギーマークのお店:マムミニョンペッシュ

体の不自由な子どもたちが使用する「子ども用の車いす」は、社会的な認知度が低いために車いすと同等の対応をしてもらえないことが多くあります。歩けない、首も座っていない子どもをバギーから降ろして折りたたむように言われることもあるのです。

「子ども用の車いす」を周りの人に知ってもらいたい――その思いから生まれたのがバギーマークです。公的なマークではありませんが、手作りで製作し希望者に販売しているのがマムミニョンペッシュ。今回、マムミニョンペッシュのたかいしりえさんにお話を聞きました。

設立は2012年。体の不自由な子どもを持つお母さんの発案で生まれました。現在は設立当初から協力してくれていてショップの代表を務める業者さんご夫婦とともに、製作メンバー2人で活動しています。製作メンバーの2人はいずれも医療的ケアが必要なお子さんを持つお母さんで、それぞれのお子さんは28歳の女の子と13歳の男の子です。

「赤ちゃんのお尻があまりにもかわいくて桃の様だよね!」と話したのがきっかけでマムミニョンペッシュと命名しました。ママのかわいい桃という名前には子どもへの暖かい眼差しが感じられます。お店のマークも桃(かわいいお尻)からイメージしたものです。

ホームページ上にネットショップを開設しているので、そこを通じて受注を受け付けています。障がいを持つ子のお母さん2人で注文内容の確認、お客さんへの連絡、製作を分担。内部のやり取りの多くはLINEで行います。製品のほとんどは芯を中に入れて作るハンドメイド品です。

マムミニョンペッシュ ホームページより

活動を始めて11年目。全国から注文があり、届けたバギーマークはすでに1700枚に上ります。リピート購入してくださる方もいて嬉しいとたかいしさん。多くの方に喜ばれているのがわかります。

バギーマークは標準サイズの他、ミニサイズやもう少し小さなプチサイズ、一番小さなナノサイズ、またそれぞれに色やデザインも豊富で、好きなタイプを選べるように工夫されています。

さらにバギーマークにとどまらず、障がいを持つ子どものためのブーツやバギーポケットなど新しい製品も加わっています。利用者からの要望や、製作担当のお母さんたちがアイデアを元に相談しながら新しい製品の開発にあたっています。また目を引くのが、それぞれの製品のネーミング。手作りのロングブーツには『あったかブーツmoccomoco』、小さなネコ形のバギーマークは『バギーマークnano×cawaiiにゃん』など、かわいい名前を意識してもらえるよう、またサイズや形などの種類もわかるように考えられた名前です。一つ一つの製品への愛情が伝わってきます。

マムミニョンペッシュの製品のほんの一部です。 マムミニョンペッシュのホームページより

医療的ケアの必要なお子さんを抱えたお母さんは、どうしても時間が細切れになってしまい、まとまった時間がとれません。学校へ行く子どものお母さんの場合は、子どもが学校に行っている間が貴重な作業時間になりますし、それぞれのお母さんが夜や休日にも工夫して時間を見つけて製作にかかっています。期日を守るように進めていますが、子どもの体調が優れない時は、作業が遅れてしまうこともあると言います。イベントに出品するときは、短い期日でたくさん作ることになるので、家族に心配されることもあります。家族が家にいれば子どもの面倒をみてくれますし、何よりやりがいのある事だと思っていることを、家族が理解してくれています。

これまでの活動を振り返り、必要として下さっている方のお陰で続けられていると語るたかいしさん。コロナ以前はよくイベントに出品することがあったので、そこに来たお客さん同士で輪が広がっていく様子を感じることができました。

現在重度の障害があっても預けられる施設が少しずつ増えています。預けられる場所はできても、親同士の交流はほとんどなく孤立してしまいがちになりがちな中で、バギーマークを使う人同士で声を掛け合えるきっかけになれば嬉しいと言います。

コロナの間、4年ほどはイベントに出品する機会がなくなりましたが、これから機会があれば出品していきたいと思っています。

最後に今の思いを伺いました。「一般的な青い車いすマークのように、子ども用車いすもマークを統一できたら、周りの皆さんにより理解され知っていただく機会が多くなるかもしれませんが、最近では、自分でかわいく製作されている『子ども用車いす』を示すマークがたくさんあります。どのマークも、障がいがあってもおうち以外でも楽しむことができるように、外出先で嫌な思いをしないようにというお守りのような、親御さんの願いが込められていると思います。なので、マークを付けている車いす(バギー)を見かけたら、周りの方々にすこしだけ優しい気持ちで見守ってもらえるそんな社会になるよう希望しています。これからも、私たちは必要なお子様やご家族のために、バギーマークをお届けしたいと思っています」

マムミニョンペッシュのホームページはこちらから

子ども用車いすマーク バギーマーク®︎のお店 マムミニョンペッシュ| mon mignon peche (buggymark.jp)

ふくしのまちづくり賞のPR展で「バギーマーク」が展示されました。 岩見沢のイベント会場で(2023年3月)

マムミニョンペッシュのホームページより

出典:国土交通省ウェブサイト

地下鉄などでこのようなポスターを目にしたことがあるかもしれません。ポスターにあるこの車いすは病気や障害のために移動が困難な子どもたちが使用しています。一見したところ赤ちゃん用のバギーと間違いやすく、公共の交通機関に乗車できなかったり、たたむことを要求されたりすることもあります。また子どもが小さい頃は通常のベビーカーを車いすとして利用することもあります。

長男は病気で重度の肢体不自由になったあと「車いす」として初めて使ったのは、2歳下の妹が使っていた赤ちゃん用のバギーでした。1歳になった妹がヨチヨチ歩きでバギーについてきている様子を見て、通りすがりの人から「お兄ちゃんが赤ちゃん返りしているのね」と言われたこともありました。確かにそう見えたと思います。

↓赤ちゃん用のバギーを使っていた時代。2台目は使わなくなった大きめのベビーカーがあるからと譲ってもらったもの。その頃は頭にクッションを置き、手作りの胸ベルトを当てていました。

長男は病気による中途障がいで、今まで歩けていたのが急に歩けなくなったため、病気で半年の入院生活のあと退院してからは、まず移動に困りました。そのため急遽赤ちゃん用のバギーで代用した時代が数年間ありましたが、その後はPTの先生に相談しながら体の状態に合わせた特注のバギー(車いす)を作りました。特注のバギーになってからも、障がいを持っていると思われずに、ここではバギーを使用しないでと言われたこともありました。

国土交通省のポスターの右下に「子ども用車いすマークもあります」と記載されていますが、そのひとつマムミニョンペッシュが製作しているのがこちらのマークです。

マムミニョンペッシュ ホームページより

「歩けない子なんです」と言うことは、障がいを持つ子の親歴が短い最初の頃は勇気がいりました。そんなとき、「子ども用の車いす」のマークがあってもっと周りに知ってもらえたらどんなに良かったかと思います。

このマークは、障がいの子を持つお母さんが発案し、同じく障がいの子どものいる縫子役のお母さんたちが手作りで製作し、必要とする家族に届けています。そのためにマムミニョンペッシュという会社を立ち上げ、その活動はすでに11年目に入りました。マムミニョンペッシュのママスタッフにお話しを聞きましたので、次回ご紹介します。

写真家 山本美里さんに聞く

旧国立駅舎から場所を変え、くにたち・こくぶんじ市民プラザで開かれていた写真展「透明人間-Invisible Mom-」「#BFF」の会場で写真家の山本美里さんにお会いしました。

会場の様子とともに山本さんのお話を紹介します。

写真家 山本美里さん

保護猫の預かりボランティア活動もやっている山本さん。写真を始めたきっかけは、保護猫のかわいい写真をSNSに上げて里親探しに役立てたいと思ったこと。

医療的ケア児である子どもの通学のため付き添いで一日何時間も学校で過ごしていた頃、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の通信教育で写真を学ぶことを決意。東京でスクーリングが受けられたため週末は子どもを家族に託してスクーリングに出かけた。子どもと離れ集中できる貴重な時間だった。3年をかけて卒業。「透明人間」の写真は卒業制作で撮影したものが中心。子どもが中2になった今、あの時だから撮れた作品と振り返る。

カメラはミラーレスを使用しているが、スマホも活用している。時には三脚2台を用いての撮影。学校で「子どもよりお母さんの荷物が多いですね」といわれるほどだ。毎回構図を練って撮影に挑む。特別支援学校の先生方にも被写体として協力してもらっている。その他被写体の一人がまあ君というお人形。教職員が気管切開や経管栄養についての研修に使用するもので保健室にある実物大のお人形だ。被写体への山本さんの眼差しは暖かい。

山本さんの写真集「透明人間」より

最初はこんな生活を強いられています、といういわば「愚痴日記」でもあったが、写真という作品にすることで状況を客観視できたと言う。

目を引く作品のひとつに気管切開をした喉の写真がある。器具を外したそのままの姿だ。つまり喉に穴があいているというもの。私の長男も気管切開をしていたが、それが作品となることがある意味衝撃的だった。そのことを山本さんに聞いたところ、大学の指導の先生から、「美しいと思うものであるなら、撮っていけないものはない」と言われたそう。お風呂で器具を外したときに撮ったもの。ただ赤みを消すため作品はモノクロにした。

子どもの病気の進行などたえず心配や不安のある毎日。だからこそ今を撮ることを大事にしている。

机の上に並ぶ写真は、学校のエレベーター内で撮ったもの。付き添いで通学し、学校についてエレベーターに乗る。その毎日を定点観測している。同じ場所だからこそ、日々の小さな変化が感じられ、時にはお面をかぶるなど「遊び」が入るのも魅力。毎日エレベーターに乗って降りるまでの数秒が勝負だ。同時に、医療的ケア児専用のスクールバスを運行するという東京都の方針により、子どもだけの登校が果たして実現できるかどうかということを伝える記録でもある。もしできなかったら、卒業まで写真は続く。

卒業制作の「透明人間」から、新たなステップへ

生活の一面を切り取って、エスプリを効かせた作品づくりに現在取り組んでいる。身の回りのあらゆるものを素材と考え、見ていて思わず笑いがこぼれるような作品群を生み出している。経管栄養や胃ろうの注入に使用するシリンジ(注射器のような形をした医療器具)を素材にした作品もあり、医療器具がアートになっているというのはとても新鮮だった。山本さんによると海外の製品は色がとてもカラフルという。「B.F.F.」という作品にはお母さんと障がいを持つ子が宇宙を背景に明るく表現されている。B.F.F.(Best Friend Forever)まさに同感!

映像の作品や、動画を静止画にした作品など領域は広がりつつある。作品の制作について語る山本さんは生き生きとして本当に楽しそうだった。

*今回の展示は終了しましたが、来年(2023年)全国3か所での開催が予定されています。

国立市の旧国立駅舎で開催されていた山本美里さんの写真展「透明人間-Invisible Mom-」を見に行きました。

子どものひとりが重い障がいを持つ写真家山本美里さんが撮った写真には、特別支援学校を中心に生活の様子が映し出されています。親として子どもの付き添いで通う学校生活で感じたことをカメラのフィルターを通して表現しています。何より私に響いたのは、テーマがお母さん自身だったこと。障がいを持つ子どもがいても自分の人生を生きているという姿がとても魅力的でした。

山本さんのお子さんは重い障がいをもち、しかも気管切開をしているいわゆる医療的ケア児です。痰の吸引や呼吸の管理が必要となるため、学校では保護者の付き添いが求められてきました。ただ常時子どものそばにいるのではなく、体調が急変したときなど親でなければできない医療行為をするために子どもとは少し離れた控室で待機しています。私の長男が特別支援学校に通っていた最初の頃の医療的ケア児は、在宅のまま先生が訪問する訪問学校か、あるいは保護者の付き添いで登校し下校まで保護者が学校に待機するという二択しかありませんでした。その後、学校に常勤の看護師が配置されるようになり、少しずつ保護者の負担は緩和されてはきましたが、それでもまだ保護者に求められる役割は多いのが現状です。

写真展のタイトル「透明人間」は、学校に付き添いを求められていながら、学校は子どもたちの自立の場であるからお母さんは気配を消してください、と言われたことから来ています。Invisible Man(透明人間)転じてInvisible Mom(透明お母さん)というわけです。多くの時間何もなく待機しているだけ、でも「私はここにいる!」という山本さんの心の叫びが聞こえてきます。長男の同級生の中には入学当時はスクールバスで通えたのに、在学中に経管栄養になったり、胃ろうの手術を受けたりして医療的ケア児になる子が何人もいました。スクールバスで通える子どもの場合、学校に行っている時間だけ付きっきりで世話をすることから離れ、親は自分の時間が持てるのですが、医療的ケア児の親はその間も学校で待機しなくてはならないという過酷な現実があります。当事者である山本さんはそれに対して声を上げ、写真と言う形でシーンを切り取り多くの人に見てもらうことで、その困難さを広く知らせようとしています。

写真集も発売されています。ゆっくりページを開いてゆくと、重い障がいを持つ子どもがいるという私にとってたいへん馴染みのある光景や特別支援学校の様子は無性に懐かしく思いました。ユーモラスな表現もありながら時に社会に問う姿勢が強く感じられます。山本さんの写真集に次の言葉があります。

子供たちがどんな風に生まれてきても、

私たち「母親」が自分たちの人生を

自分たちで選択できる時代がきっとやってきます。

旧国立駅舎にて開催された写真展「透明人間-Invisible Mom-」

原田マハさんの短編集『常設展示室』を読みました。最初の短編「群青(The Color of Life)」の主人公はメトロポリタン美術館で働く女性。障がいを持った子どもたちのためのワークショップの開催に向けて物語は展開します。(小説はとても心に刺さるものでした。マハさんの美術界を舞台にした小説を読むと美術館に行きたくなります)

身近に障がいのある子どもも参加できる美術館のワークショップはないか、調べてみました。コロナの感染が広がって以降、直接参加できるものはかなり数が減っているようです。

横須賀美術館の障害児者向けワークショップでは、障害のある子どもと家族に向けた「みんなのアトリエ」というプログラムを企画しています。ただ、現在は来館型のものは休止となりオンラインでの公開となっています。大きな紙に色を塗ったり、好きな感触の素材で「ふしぎな生き物」を作ったり、身の回りのにおいを探したり、と自宅でいろいろなことが体験できるワークショップとなっています。

障害児者向けワークショップ おうちでできる「みんなのアトリエ」 | イベント | 横須賀美術館 (yokosuka-moa.jp)

ワークショップではありませんが、車いすに乗る長男も一緒に家族で美術館や歴史館などに行ったことが何回かありました。東京都美術館の『大英博物館の至宝展』に行ったときは、休日でしたので入館まで長蛇の列ができていました。どうしようと迷ったのですが、せっかく来たからと並んで待っていると、スタッフの人に声を掛けられ、車いすの人は専用の入り口があるからと別ルートを案内されて家族も一緒に入ることができました。ただ、混んだ会場では車いすが人にぶつからないか気を取られ、あまり鑑賞した気持ちではなかったという思い出があります。車いすに乗っているとどうしても視界が限られるので、長男は展示品を見るというより、展示品に見入る人々を観察しているようでした。

たかあき 学校での作品作り(中学部1年の頃)

読み聞かせの活動を通して出会った印象深い絵本のひとつに『わすれられない おくりもの』(スーザン・バーレイ作・絵/評論社)があります。年老いたアナグマがこの世を去るときの情景、そして残った周りの動物たちがそのことを受け止めてゆく様子が描かれています。年老いて体の自由がきかなくなったアナグマが、ある日の夜ぐっすりと眠りにつき、天に帰っていく途中で体が楽になり昔のように走っている姿がありました。初めてこの絵本を見たとき、いつかたかあきも身体が自由になって駆けていくそんな時がくるのかもしれないと想像しました。

たかあきの妹が、小・中学校時代の友だちに兄が亡くなったことを知らせたところ、一人の子が次のようなメールをくれました。

「…そうか。本当は亡くなってしまう前に一目会いたかったな。とても残念で、もう会えないのが悲しいです。私もたーくんに遊んでもらった事や笑った顔は今でもちゃんと覚えているよ。…私は小学生の頃から障がいをもっているたーくんと接する事ができたおかげで、偏見なく当たり前に感じて大人になれて、とても感謝しています。たー兄さん、本当にありがとうございました。…」

みんなの心にも何かを残してくれたとしたら、それは、たかあきからの「おくりもの」かもしれません。